Challenge

ビジョンを描く、挑戦の物語
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レアジョブの歴史
2020/09/04

#03 フィリピン子会社創業。3,000キロの距離を超え一体運営を開始

もし、フィリピンの子会社に日本人スタッフを駐在させたら、日本での事業運営に支障が出る。
だったら、現地にはローカルスタッフだけを置いて、リモートでマネジメントをしよう。
英語でできる作業をフィリピンで行えば、日本でスタッフを雇うより効率的なのではないか。

あまりにもシンプルな考え方だが、これがRareJob Philippines,Inc.(以下、RJPH)の始まりだった。

オンライン中国語会話から英会話に切り替えるにあたり、加藤はとりあえずフィリピンに飛んだ。
そこで出会った女性が、シェム。
彼女は、初めて加藤がフィリピンに渡り、求人募集をして数日後に応募してきた。
惹かれるものを感じた加藤は、彼女にビジネスの構想を話し、現地でのマネージャー業務を依頼。
そして、現金10万円とキャッシュカードをポンと渡してしまうのである。
無謀にも思える行動だが、加藤の直感は間違っていなかった。
彼女こそ、2008年10月にRJPHを立ち上げる前から現地での実務を取り仕切り、運営していくキーパーソンとなる。

たとえば、レッスン用のパソコンを買い集めたり、講師に給与を支払ったり…という運営管理業務は、彼女に任されていた。
プレサービスから本格展開へとサービスを拡大するのに伴い、RJPHでもオフィスの清掃や出退勤管理、講師管理やレッスンマネジメント、教材開発…と、徐々にローカルスタッフを増やしていった。

レッスン用のPCを買い集めるシェム

増員していたとはいえ、当時のRJPHは「大学のサークルみたいな雰囲気だった」と、中村は言う。
オフィスにいるのは20代の若い社員たちばかり。
業務時間中でも、スタッフの歌声が響いているような状態だった。
そもそもレアジョブ自体が創業から日が浅く、社風どころか制度や体制を整えていくさなかにあったのだから、無理もない。

産声をあげたばかりのレアジョブとRJPHは、真の意味での運命共同体だった。
日本で提供するサービスの源泉は、フィリピン人講師が提供するレッスン。
サービスの拡大が講師の雇用を生み、講師数が増えればサービスのさらなる展開につながっていく。
自転車の両輪のごとく、同じ方向を見て、足並みを揃えて進まなければならない。
上下や主従ではない。必要なのは、一体感だった。

だからこそ、加藤は2社の一体経営を望んだ。

たとえ物理的には離れていても、組織として距離を置く必要はないという思想である。
実際に、カスタマーサポートなどは日本とフィリピンの各担当者が緊密に連携するシーンが多い。
日本人スタッフを採用する際に、シェムとの面接選考を設定していた時期もあった。

もちろん、連携が不可欠だからといって、必ずしもうまくいったわけではない。
当時を知るRJPHのスタッフは、言語の壁によるコミュニケーションミスが生んだエピソードを覚えていた。

The collaboration was challenging because most of the time, we can’t understand each other. Apart from the wide culture gap, the language barrier makes it really tough. Verbal communication was confusing and time-consuming, written was prone to miscommunication due to the inaccurate translation of Google Translate.
One funny story that I can’t forget is when we were working on the first student android application. This app is one of the first JP-PH collaboration system projects that we worked on.
At that time an engineer asked me verbally to check the law files, and after almost an hour, I really can’t find anything so I asked him to type it in the chatbox instead, and he did, he typed “LAW files”. We had a bit of discussion about these files being non-existent in my end. It drove us to several, wrong directions, and after a few more hours, I figured out that what we were talking about the “RAW files”. It might look simple, but this made me really frustrated that time, I remember having a beer that night.
(意訳:互いにまったく理解し合えないがゆえに、2国間の連携は大概においてチャレンジングだった。カルチャーギャップや言語の壁が大きく立ちはだかり、会話をすれば時間がかかるし混乱する。文章でのやり取りにしても、翻訳ツールがあまり正確ではなかったから誤解が生まれがちだった。
初めてのクロスボーダープロジェクトは、Androidアプリの開発案件。日本とやり取りしながら進めていたが、ある時「the law filesを確認して」と言われた。1時間くらい探しても、彼の言うファイルは見つからない。そこでチャットで確認してみると、やはり”LAW files”と書いてある。どうしても見つからないので議論を交わしたが、結局その後数時間近く経ってから“RAW files”だったと判明。簡単なことに見えるかもしれないけれど、あのときは本当にイラついて、仕事終わりに思いっきりビールを飲んだよ!)

当時はレアジョブもRJPHも創業からまもなく、業務上のやり取りに関する仕組みが整っていない。
慣れないスタッフにとっては、社内とはいえ英語でのコミュニケーション自体がチャレンジングだった。
加えて、そもそも日本とフィリピンでは、業務遂行の思想が根本から異なっている。
レポートラインを遵守する国柄のフィリピン人に、日本人の感覚で部署やチームを飛び越えてコンタクトを取ると、彼らを混乱させてしまうことも少なくなかった。

2010年頃のRHPHオフィス

もし、同じオフィスで働いていれば。
もし、言語でもっと円滑なコミュニケーションが取れる関係だったら。

仮定すればきりがないが、日本とフィリピンは物理的に離れており、ベースとする言語も文化も異なる事実はどうにもできない。
さらに、2国間連携の事業展開をベースにすると決めたレアジョブには、“互いの違いを認め、どうにか乗り越えながら連携する”以外の選択肢はなかった。
たとえコミュニケーションが大変でも、組織が未熟でも、協力して前進していくしかなかったのだ。

違いから生じるトラブルを嘆いても意味がない。
できるのは、問題を回避するための方策を考えて、実行することだけ。

まず、日本とフィリピン間のやり取りでは「レポートラインを守る」「定量的に伝える」の2点をルールとして定め、徹底した。
フィリピン人に仕事を依頼する場合、曖昧な要求をしたり、意を汲んだ行動を期待したりしてもいけない。
グローバルレベルで考えれば、そういう日本の発想の方が特殊なのだから。

また、2国間連携が必須である以上、互いへの理解を深める姿勢も不可欠だった。
フィリピンでは、業務範囲や権限を定める契約書面の持つ意味が、日本と比べてはるかに重視される。
こうしたカルチャーギャップは業務の進行にも影響するので、日本人スタッフ向けに理解を深める勉強会も実施した。

2009年時点の各種制度や組織をまとめた資料

創業からほどなくして、2拠点、しかも2国間というリモートマネジメントを行ってきたレアジョブ。
あらゆる取り組みがすべて、事業運営のためのチャレンジ、企業成長につながるチャレンジだった。
答えのない取り組みのなかで「まず、やってみる。進めながら改善していく」という、その後も続いていくレアジョブらしさを形成していったと言えるかもしれない。

サービス運営を担うレアジョブと、レッスンを提供するRJPH。
それぞれの土地でそれぞれの役割を果たしながら――特に加藤と中村は2国間を行ったり来たりしながら――、サービス拡大を目指す道を進みだしていくのだった。

中村 岳
共同創業者、代表取締役社長
開成中高を経て、東京大学・大学院へ。情報理工学を専攻。その後、NTTドコモに入社。次世代通信の研究を行う。
エンジニアとして働くなか、個人と個人ををつなぐ新しいビジネスの立ち上げを考案。中高の同級生・加藤智久とともに、2007年にレアジョブを共同創業。